6月20日金曜日。
素敵な柄の布を見ると、わくわくが止まらないのですよね~。
ただ眺めているだけで、テンションがあがってしまいます。
SOULEIADOのような、クラシカルで愛らしいファブリックが大好き。
絵本を選ぶ時も似たような感覚になります。
くらはしれいさんやPEIACOの描く、どこか夢のようで、儚くて、優しい絵が大好き。
けれど、自分が着る服となると話は別なのです。
柄物の服を手に取ることは、ほとんどなくて
選ぶのは、決まって無地。黒、白、ベージュ、グレー。
アクセサリーが映えるような、余白のある服。
なぜだろう?
柄が嫌いなわけじゃない。
外で着るのが恥ずかしいわけでもない。
でも、どうしても「自分の服」としては選ばないのです。
無地は飽きないから何年も着られるし、アクセサリーも映える。
柄よりも服は「形」を重視していて、
立体感やライン、布の重なりがきちんと見えると、それだけで心が満たされます。
なんだか柄のものを着ていると散らかった部屋にいるようで
ちょっとごちゃごちゃする感覚があるのですよ。
どこかに凛とした佇まいを持っていたい。
シンプルでかっこよくありたい。
だからこそ、余計な装飾はいらない。
形を重視するのは私なりの個性の出し方です。
私にとって服は、「自分の意志をまとうもの」なのかもしれません。
一方で、家の中——誰の目にも触れない時間になると、
とたんに“かわいらしい柄”を手に取る自分がいたりして。
パジャマや部屋着は、ちょっと甘くてカラフルなものも着たくなるのよねえ。
ある意味では私なりのONとOFFなのかもしれません。
カッコイイ服は背筋が伸びますが、かわいい服はリラックスできるような気も。
中身もちょっとだけ丸くなる、ような?気のせい?
自分の中の“女の子”を密かに甘やかす、小さな儀式なのかもしれません。
誰にも見せない自分にこそ、ほんの少しだけやさしく、甘い世界を許してあげたい。
そういえば、「無地に見える柄」っていうのもまた良いですよね。
黒地にグレーの模様。遠くから見ると無地だけれど、近づくと繊細な模様が浮かび上がってくる。
控えめで、でも確かにそこにある美しさ。
あんまりアピールはしたくないけど、こだわってますよ、みたいな。
私自身のあり方がこんな感じかもしれませんね・・・。
表面は無地のようで、実は奥に模様を秘めている。
気づいてくれる人だけが、その繊細さに触れることができる。
誰にでもわかりやすく好かれようとは思わない。
けれど、深く見てくれる人とは、ちゃんと響き合える。
そんな存在でいたいなあと思ってます。
ファッションは、私にとって自己主張ではなくて、
静かな意志であり、輪郭を保つための道具。
そして、“可愛いもの”は、単調な日々を彩ってくれる、
どちらも、私にとっては大切な表現なのです。
無地の服を選ぶ私も、
かわいい布にときめく私も、
どちらもほんとうの私。
今日もまた境界をさまよいながら、
どんな私も私だからよいのだと言い聞かせておるのです。
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